―神原家の家訓が誕生したのは、2013年でした。そもそも家訓をつくったのは、どのような思いがあったからでしょうか?
神原家の事業を創業した曾祖父の神原勝太郎翁の世代を第1世代とすると、祖父・秀夫翁たちたちが第2世代、そして父親たちが第3世代、私たちは第4世代にあたります。勝太郎翁、秀夫翁、眞人の世代は、常石という町に兄弟一族の家が集まって住んでいましたから、いつも一緒。考えていることは以心伝心で、事業も阿吽の呼吸で決めることができていたと思うんです。
私が、常石造船の社長に就任した29歳のとき、グループ会社の社長は、ほぼ全員が神原家の身内でした。その後海外に進出して事業の拠点も増え、会社が大きくなっていくにつれて、父や祖父が社長であった時代のように、これからは必ずしも神原家だけが社長になるのではなく能力のある人に経営をまかせるという方向に考え方を変えていかないといけない、と思うようになったわけです。
そのころファミリービジネスの本をいろいろと読み漁り、ファミリー経営ならではの強みも再認識し、長く事業を続けているファミリーには家訓のようなものがあることを知りました。もちろん、家訓を守りさえすれば会社や家が繁栄するとは限らないし、多様化した価値観の時代に家訓というものを定義する意味があるのか、と考えました。どんなに世の中やファミリーの状況が変わったとしても、神原家のアイデンティティ、芯の部分はこういうものなのだということを明文化して世代をこえて共有しておきたいと強く思いました。
―それで、家訓をつくるための会議がはじまったのが、2012年。
「天社」というツネイシホールディングスの株主でもあり神原家の資産管理会社があります。天社の役員である第4世代メンバーに相談して本格的に家訓をつくるプロジェクトが動きはじめました。
当時、ツネイシホールディングスの監査役をされていた入江さんからファミリービジネス専門のコンサルタントをされている武井一喜さんご夫妻を紹介していただきました。そこで、創業者の勝太郎翁や秀夫翁の自伝を読んだり、社内報を読み漁ったりしていくと、歴代の神原家の家長から似たようなキーワードがいくつかでてきました。「地域を大切にする」「従業員は宝物」など、みんなでそのキーワードをホワイトボードに書いていきました。武井ご夫妻が、うちの親父やおふくろ、叔父叔母たちなど第3世代のところにも行って、色々と神原家の歴史について聞いてもらいました。家訓を第4世代でつくれたのは、本当にいい勉強になったと思います。
―神原ファミリーの面々、個性派ぞろいですしね。事業に関わっている方も、関わっていない方もいらっしゃいます。
時代の変化のスピードは速いですから、先程も申した通り必ずしも神原ファミリーが事業会社の社長にならないこともあると思います。事業にかかわるかかわらないに限らず、ファミリーがこの家訓を見れば、自分の立ち位置、アイデンティティがわかります。事業に関わらない人も、どのような立ち位置で事業会社を支えるか、ということが理解できると思うのです。
我々ファミリーは酒を飲んだら、喧嘩になることも多いんですよ。でも、喧嘩はするけど、家訓を読めば「一族、家族、仲良く」とある。仲良くすることをギブアップしてはいけないのです。絶対に、仲良くしなければならないのです。
―家訓ができた2013年から毎年3月にファミリー総会が行われるようになったのですね。
家訓をつくるために、およそ1年間、毎月週末の2日間をかけて合宿のように集まっていたので、お互いの考えもわかっておもしろかったのです。常石に住んでいる兄弟や従兄弟たちは、子供のころから週末一緒にご飯を食べたりしながら、親やおじいさん、おばあさんの話を直接聞いて育ってきましたから、「仲良く」というのは刷り込まれています。でも、第4世代も第5世代も、東京や海外で生活している家族が増えていて、常石のことを知らないという子も多くなってきています。家訓をつくったときに、今一度、ファミリー全員が仲良くなるきっかけをつくりたいと思いました。それ以来、コロナ禍のときは開催できませんでしたが、毎年ファミリー総会を開いて、さまざまなイベントを行っています。
―家訓の最初に書かれた「今あるのはおかげさま」についても教えてください。
家訓をつくったときに、私が20代でお世話になった鎌倉の建長寺の吉田正道管長に家訓書を書いていただきました。そのときに「今あるのはおかげさま」という文言を付け加えてくださったのです。家訓の内容すべてがこの「今あるのはおかげさま」という言葉に集約されていると思いました。
私の何人かの知り合いに、地元で代々受け継いできた会社をファンドなどに売却して東京など都心部で不動産業などをしている人がいます。地域や社員のことより自分や家族の生活優先、ある意味、賢い選択かもしれせん。特に製造業は雇用や地域を守っていくことは大変で、会社を売った方が楽でスマートだと思う人もいるかもしれませんが、この、「今あるのはおかげさま」と思うと、これまで、曾祖父や祖父、父たちがやってきた会社を売ろうという発想は起きないです。人生は自分の意志できりひらいているようで、実は導かれているというか、助けられたり、守られたりしているのです。やはり「おかげさま」なんだと思うんですよね。
―10年経って、今、家訓の言葉を振り返ってみて、感じることはありますか?
そのことをファミリーのみなさんにも聞いてみたいです。今、家訓をどうしていますか?と。必要なものだと思ってはいますが、人間は思っていることと行動は伴わないことが多いです。みなさんそれぞれに渡した名刺サイズの小さな家訓を、財布や名刺入れなど身近に持っていたり、家の中に貼っておいたり、あるいは唱和したり。何かあったときに、確認するような存在であればいいと思っています。
―家訓の中で、特に思い出に残る言葉はありますか?
「人としての心がまえ」にある「寛容と胆力」。ファミリー間でも人とのつきあいでも人間関係で何か問題が起きたときに、対処の仕方に悩みます。人間は折り合いが大切です。この「寛容と胆力」は折り合いを身につけさせてくれます。
―「寛容と胆力」も「みんな仲良く」につながっていくわけですね。
家訓ができてからこの10年間、いろんなことがありました。我々神原家はビックファミリーです。みんなそれぞれに自分の家族があり子供がいて、それぞれの家庭で懐事情も違うし、人生の価値観も違う。人間ですからそれぞれの思惑もあり、場合によってはどこかで衝突することもあるのでしょう。定期的に会って、一緒にお酒を飲んで、喧嘩して、ガス抜きをしながらも、家訓を見直してハッとして、自分の発言や行動に折り合いをつけながら来た感じです。
―「人一倍努力する、辛抱する」も強い言葉です。
「努力」という言葉のとらえ方も人によって違いますよね。「勤勉姿勢を正すこと。誰よりも努力すること」とありますが、真面目一徹だけだと逆に心配にもなります(笑)。父親から聞いた話だと、私は、秀夫翁からは「勉強するな」と言われていたとか。54年も生きてくると祖父の本意が少しわかってきます。人間が強く生きていくためには、知恵や学歴だけじゃない、というのがメッセージであることにも気づきます。
―「一族の子をみんなで育てる」は、ファミリーとしては勇気づけられる人も多いはずです。
神原家は個性派でヤンチャな人も多い。それがファミリーのカラーだと思います。子供をいい子いい子と誉めて育てるのは神原家には不似合いのような気もします。型破りな子も出てきてほしいですね。家訓にある言葉をそのままの子供が育ってくれなくていい。みんながみんな心清らかで正しい行いができる人であるわけではないと思うのです。
―家族でも一族でも、会社でも地域でも、向き合ってとことん話すのが神原家らしさでもありますね。
自分ひとりを律して、ちゃんと生きていくのは難しいです。家族がいて、友達がいて、いい先生がいて、いい仕事仲間がいて、はじめて自分の中で物事を判断できて、立派な人間になっていくんだと思います。周りの人たちが支えてくれていたり、見えないところで気にかけてくれていたり、そういう自然な関係のファミリーになれたらいいと思います。
うちの親父と総一郎叔父はお酒の席でたまに喧嘩をしていました。私はそれを見て育ちましたので、よく喧嘩し仲がいいんじゃ、兄弟で親子で喧嘩するのは健全だ、と思っています。
―神原家にとって、神勝寺という場所がもつ役割も大きいです。
「神勝寺を心のよりどころに」と家訓にあります。これは私自身が特に大切に思わなければならない言葉だと思っています。神勝寺は、祖父の秀夫翁がつくったお寺です。親父に「会社はつぶれても寺は守れ」と言われたことがあります。半分冗談かもしれないけれど、半分本音だと思うのです。それほど強烈にそのフレーズが印象に残っています。
神勝寺はファミリーのシンボリックな場所です。少し思い出話をすると、神勝寺の敷地内に住んでいた秀夫翁が、私が生まれてすぐに、「勝成が大学生になったときに友達を連れてくる家だ」と言って、建ててくれた家が今でも残っています。孫が増えてからは「孫の家」という家を建てもくれました。週末は従兄弟たちが集まって、一緒に寝泊まりするような場所でした。
―第4世代に続く、第5世代、そしてそのあとも世代の子供たちも驚くようなエピソードがこれからも出てきそうですね。
神原家には代々こんなに破茶滅茶な人がいたというのは、次の世代、その次の世代の子供達、孫達からみると、逆に元気をもらえるような気がするんです。こんなおじいさん、おじさんがいたんだ。おもしろいファミリーだな、と。おもしろい人達がいたので、会社も大きくなったし、面白いこといっぱいやったんやな、と思ってもらえたらうれしいですよね。真面目で立派な話よりも、ドロくさい、人間らしい苦労話も含めて裏ヒストリーのほうがおもしろい。そういうこともケロッと言えるようなファミリーカラーが神原家らしさなのではないかと思っています。
最後に……
天社役員会のメンバーにもお願いしましたが、この神原家の家訓を
「絵に描いた餅」にしないためにも各家庭、個々人でいつもこの家訓を意識をしてほしい。
どのように意識するかは、それぞれ家庭の判断、個人の判断でいいのですと
話をしたら、宏達からまずは、ファミリーのHP上で家訓ができた背景や
私自身の家訓に対する思いを語ったらどうか?という提案をもらいました。
私の家は仏間に家訓を飾っていて毎朝、先祖供養のお経をあげた後に家訓を唱和します。
天社役員に家訓についての提案をさせてもらってから
我が家では「神勝寺を心のよりどころ」にという家訓がありますが毎月、第一土曜日の
午前中に神勝寺の天勝院に行ってお経をあげ家訓を唱和することにしました。
もちろんお墓参りもします。
皆さんも家訓について何かやれそうなことがないか是非、家族で考えてみてください。
私からのお願いです。
よろしくお願いします。