グループ全体を引っ張っていきます
代表取締役社長 神原宏達
常石グループのはじまりは海運業から
神原汽船は常石グループ創業の会社です。神原勝太郎が海運業を興したのが、1903(明治36)年のこと。ここから常石グループの事業がはじまりました。今、グループの事業会社のなかでは社員数にしても売り上げにしても常石造船がメインの事業だと思うかもしれませんが、昔は、神原汽船が常石造船の親会社だったこともあり、 社員OBや地元のご年配の方々は、神原汽船に愛着をもってくださる人も多いです。
昔は、北九州の若松に営業所があり、機帆船による九州/阪神の石炭輸送をしていました。神原汽船の船には<天>のマークがついていますが、「昔は<天>のマークの船をよく見かけたよ」と、今でも九州地区の船主に言われることがあります。
最初は、内航船(国内輸送の船)だけでしたが、1967(昭和42)年に遠洋航路にも参入して、東アジアを拠点に太平洋、インド洋の貨物輸送もスタートしました。1994(平成6)年には、中国と日本を結ぶコンテナ船の定期航路がはじまり、現在は、九州・瀬戸内・日本海側の地方港・北海道と、海外では中国の上海・寧波・大連・青島・天津新港などの航路を軸に、また他社との協調で長江流域諸港・厦門・福州・香港、ベトナム・タイ・マレーシア・シンガポール・インドネシア・フィリピン・インドへサービス航路が広がっています。
海運業の仕事とは —
現在、所有している船の数は約50隻。神原汽船は、常石造船が造った船を所有して船主(オーナー)となり、その船を運航船社(オペレーター)に貸すのが仕事です。船の貸し出し先は、日本郵船、商社、電力会社といった日本の会社や海外の穀物トレーダー、エネルギー会社などです。40数隻をそうした船主業に使っていて、日本―中国のコンテナ航路では自分たちがオペレーターになって7隻を運航しています。
船主業、コンテナ運航業のほかに、もうひとつ大きな仕事があります。新しい船を常石造船に発注し、完成するまでに神原汽船がその船を売りに出す。いわゆる新造船の転売事業です。船を発注して引き渡しまで2〜3年かかります。神原汽船が発注して造っている船があれば、それを売ることができるわけです。お客様が、船が欲しいといわれたときに、何年も待たずに提供できます。
船主業の業務として重要なのは「船舶管理」という仕事です。船員さんを乗せたり、船のメンテナンスをしたり、船舶を安全に運航できる状態にしなければ、船の貸し出しもできません。そうした船舶管理をするグループ会社が、シンガポール、インド、フィリピンなどにあり、全員外国人で約70名の社員がいます。それらの会社を統括して管理しているのが神原汽船の仕事です。日中間のコンテナ運航は、中国に会社があって約80名の社員がいます。常石の本社・東京・大阪などの日本で働いているのは60人ほどですが、海外にもたくさん社員がいる会社です。
今は、オンラインの会議も増えたので少なくなりましたが、コロナ禍の前は、年間10回は海外出張がありました。シンガポール、インド、フィリピン、中国のほかに、新造船転売の仕事で、ギリシャやノルェーなどヨーロッパにもよく行きます。
安全運航が大前提の仕事です。船は24時間、365日、世界中で常に動いていますから、なにかトラブルがあれば、深夜でも早朝でも電話がかかってきます。完全な休日はありません。担当者はいつでも携帯電話をとれるように横に置いています。また、海運の業界はロンドン時間が基準。船の転売や貸し出しでヨーロッパの会社とも連絡をとりあうため、夜中の12時でも平気でメールが飛び交っています。
常石造船を支えながら相乗効果を生み出す
常石グループは、造船業だけでなく船主業もしていることが、ほかの造船会社よりも特異性があります。ほかの造船会社はほぼ造船業だけが多いです。常石造船は、年間45隻ほど船を造って売らなければなりません。市況が悪くなると、お客様からの注文が少なくなるので、そのときは神原汽船が船をたくさん発注します。また、常石造船が新しい船を開発するようなときは、神原汽船が発注・所有することで、その船の状態をフィードバックする役目も担っています。常石造船と神原汽船が協調して、シナジーを出していけるのが常石グループの強みです。
グループ会社の中でいちばん飲み会が多い!?
船会社では、昔は船員さんが船の航海を終えて港に着いて陸に上がると、歓待してお酒を飲んで労うという風習がありました。その影響かもしれませんが、グループ会社の中では、神原汽船の飲み会がいちばん多いといわれています。社員が奥様に「今日は懇親会だ」と伝えると、「いったいどれだけ懇親会をしたら懇親できるの?」と言われたという笑い話もあるほど、頻繁に飲み会があります。
神原汽船だけでなく、船主や海運会社の人たちは、お酒を飲む機会がほかの業種よりも多いと思いますね。お客様と一緒に、昼に食事をすればビールが出るのが常識です。昼間からお酒を飲むのが当たり前という風習があるのは、今やこの業界だけではないでしょうか。
「地域・社会と共に歩む」という価値観を大切にしていて、神原汽船だけでなく、常石グループ全体でも同じです。創業の地である常石で、地元の人に支えられて事業を続けさせてもらっているという気持ちがファミリーのみんなにあると思います。神原汽船が建てた社員住宅「せとの森」など、社員の方々の幸せのために、地域の豊かな暮らしのために、という思いが、企業理念として第一にあります。
MEMO:
休日は、読書や録り溜めていたテレビの番組を見るなど自宅で過ごすことがほとんどなのだとか。犬の散歩で外出するぐらい。インタビューのなかでの誠実な受け答えと立ち居振る舞いは英国紳士のようであった。神原ファミリー唯一の“ジェントルマン”と言われるゆえんである。(本人談)

会社概要 *2023年1月1日現在
神原汽船株式会社
創業 1903年
資本金 1億円
本社 〒720-0313 広島県福山市沼隈町常石1083番地
支店 〒102-0082 東京都千代田区一番町2-2 一番町第二TGビル 3階 事務所 大阪、天津、南京、寧波、厦門
現地法人 上海、大連、青島、シンガポール、アムステルダム
従業員 59名(2023年1月1日時点)
事業内容 海上運送業、海運周辺事業、その他の事業